スペシャル対談対談 寺島 実郎(一般財団法人 日本総合研究所 会長 多摩大学学長)×似鳥 昭雄((株)ニトリホールディングス代表取締役会長)

注:BS11「報道ライブ21 INsideOUT 現代ビジネス講座 世界を知る力」2015年11月20日放送

ニトリというビジネスモデルの可能性

ニトリでは、ビジネスモデルや成長戦略の妥当性を客観的に検証するため、
外部の識者との対話を積極的に行っています。
先頃、当社グループ似鳥会長が、BS11「寺島実郎の未来先見塾―時代認識の副読本」
(対談時は「現代ビジネス講座―世界を知る力」)の
MCを務める寺島実郎氏と対談を行いました。
同じ北海道出身者同士、忌憚のない会話が交わされましたので、その模様を紹介します。

Guest Profile

寺島 実郎 一般財団法人 日本総合研究所 会長 多摩大学学長

1947年北海道生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了後、三井物産に入社。米国ニューヨーク、ワシントンでの勤務を経た後、三井物産常務執行役員、三井物産戦略研究所の所長および会長を務める。2010年には早稲田大学名誉博士学位を取得。現在、経済産業省資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会基本政策分科会委員などを兼任。また、TBS系列『サンデーモーニング』にも出演中。最新刊『中東・エネルギー・地政学 全体知への体験的接近』(東洋経済新報社2016年8月)など著書多数。

1アメリカで得た感動がニトリのビジネスモデルの原点

寺島
ニトリは1967年にたった1店舗の家具屋からスタートして、今日のような成長を果たされたわけですが、日経新聞の「私の履歴書」などを読んでいて、運命的な転換点だったのだろうと感じたのが、アメリカでの体験でした。
似鳥
1972年にアメリカ研修旅行に参加し、シアーズやJ.C.ペニーといった有名な小売店に行ったとき、まず驚いたのが、ソファやベッド、ダイニングテーブルなどの隣に、カーテンやカーペット、寝装品といったインテリア用品が並んでいて、色やスタイルをトータルにコーディネートされて販売されていたこと。それを見て、日本でも同様のビジネスをやりたいと考えました。
寺島
当時の日本にはトータルコーディネートという発想がなかったわけですね。
似鳥
そうした販売手法がアメリカの人々の生活の豊かさを支えているんだと感動したんです。加えて驚いたのが、価格が日本の約3分の1だったこと。なぜだろうかと考えたところ、そもそもの発想が違うんだと気づきました。日本ではメーカーや問屋が作る側、売る側の発想で商品や店舗をつくっていますが、米国では使う側の発想、つまりお客様からの不満や要望をもとに考えているんです。
寺島
なるほど。そうした発想の違いに新鮮な感動を覚えられたわけですね。私が感心するのは、そうした発見や“気づき”があった際に、実際の行動に移していくこと。それがニトリの強みであり、DNAと言えるのではないでしょうか。
似鳥
当時、日本はアメリカに比べて50年以上は遅れていると実感しましたが、同時に何とかしなければという気持ちが湧いてきました。そこから、同じ人間なんだから、やれないはずがないという志や、50年遅れているのを30年、60年かけて追い越そうという計画を考えたんです。
寺島
ニトリと言えば「お、ねだん以上。」というフレーズが思い浮かびますが、アメリカで得られた、生活の質を支える商品が日本の3分の1の価格で販売されているという実感が、今日のニトリの原点になっているわけですね。
似鳥
おっしゃる通りです。安くて手に入りやすい家具を、広く社会に提供したいという気持ちが、ニトリのビジネスモデルの根底にあります。
寺島
お客様からすれば「安い=質が担保されてない」と思われがちですが、昨今のニトリの家具は、ただ安いだけでなく、センスのよさや、クオリティの高さが実感できます。これは、ただメーカーから仕入れて販売するという既存のビジネスモデルでは、実現できないと思うのですが、どんな工夫があるのでしょう?
似鳥
なぜアメリカが安さと品質を両立できるのかを研究して、その秘密は店舗数にあると考えました。当時の日本では、5店以上出すと管理できない、と言われていましたが、アメリカではいろんな業種で100店以上というのが少なくありませんでした。
寺島
なるほど。大量に捌くことができなければ、価格は安くできない。まずは店舗数を増やして商品の販売量を拡大し、企画や質、原料、材料、素材までコントロールできるというわけですね。
似鳥
そこで、最初の10年は店づくり、次の10年で人づくり、そして最後の10年間が、その人たちによる商品づくりや仕組みづくり、という30年計画を立てました。
寺島
大きなロットを捌ける規模になり、より安く、効率的に供給できる体制を築こうということで、勇気を持って海外に生産をシフトさせていったのがニトリの安さの原点と理解しています。アジアなど海外に供給源を求める中で、技術や品質の面で大変な苦労をされたと思いますが、どのように解決されたのでしょう?
似鳥
一般的には商社などに頼むのでしょうが、当社は基本的に自前です。直接土地を探して、直接採用して育てる。もうすべて自前ですよ。もちろん失敗もありましたが、リスクは全部自分のうちにというのが当社の姿勢です。
寺島
よくグローバル化と言われますが、口で言うほど簡単じゃないですから。そうした苦労を乗り越えてきたからこそ、今日のニトリがあるというわけですね。